サイトアイコン インテリアプラス

名古屋にお出かけするなら、人気スポットとおいしい名古屋飯をチェック!

名古屋しゃちほこ

名古屋といえば

郷に入れば郷に従えと言いますが、名古屋に遊び気行くとき、ちょっと知っていた方が数倍楽しめる人気スポットのお役立ち情報やグルメ情報、ちょっとした面白いお話などをまとめてみました。

名古屋人気質とは?

名古屋市は現在、横浜市・大阪市に次ぐ全国第3位の人口があり、東京と京都の間に位置することから、中京とも呼ばれています。古くから「尾張名古屋は城で持つ」と唄われ、名古屋は城とともに栄えてきました。名古屋城は、姫路城、熊本城と並び、日本三名城に数えられ、大天守の金の鯱は、今でも名古屋のシンボルとなっています。

さて、そんな名古屋は独特な気質文化を持っています。まず金銭感覚ですが実質を重んじる合理的な感覚がある人が多い。たとえば噂に高いモーニング。コーヒーを頼んだはずなのに頼まないはずのパンやサラダやあれこれがやたら付いてしまいます。こういう事象はほかにも、結婚式の引き出物や名古屋土産の重さなどにも表れています。「大いなる田舎」などと陰口を言われることもありますが、これは名古屋の人のおもてなしの心サービス精神の表れ。自分が払った代償や誠意は形としてしっかりアピールしていきたい、それがやたら大きかったり豪華な事や物なのです。こうしたしっかりした感覚が、名古屋価格などと言われる経済的な価格としても現れています。

名古屋周辺は、濃尾平野などがあり日本の文化や政治の中心地京都や大阪に産品や人を供給する場所として発展してきました。京から見れば田舎ですが、だからこそ実質を重んじる独自の価値観が生まれたのではないかと思います。

 

名古屋のおいしい食べ物を食べに行く「名古屋飯」

独自の文化は、食の世界でも大いに発揮されています。元々のメニューにアレンジを利かせたアイデア料理が特徴で、その中でも、味噌カツやひつまぶし、天むすなどは全国に知れ渡っていますね。中でもひつまぶしは名古屋に行ったら食べてみた郷土料理ランキング、などがあれば必ず上位を占める名物料理。名古屋人の気質が凝縮されている食べ物でもあります。 

ひつまぶし

ひつまぶしとは、鰻の蒲焼を細かく刻み、飯に乗せたものをおひつに入れ提供されたご飯ものです。蒲焼きは関西風の作り方で腹開きの鰻を蒸さずにそのまま焼き上げ、よく焦げた皮は香ばしく脂ののった中の身だけがふんわりと柔らかくなるというもの。たれは名古屋独特の砂糖が多い味付けになっています。明治時代に名古屋市内で始まったとされており、発祥となった店は熱田区の「あつた蓬莱軒」とも、中区の「いば昇」とも言われています。お茶漬けにだし汁を使うスタイルの元祖はあつた蓬莱軒、お茶を使うスタイルはいば昇が元祖となります。

ひつまぶしには細かく切った鰻が使用されますが、ここにも名古屋独特の事情や合理主義が生かされています。鰻においても昔から京には大きくて形がそろった上物が流れます。一方人口の多い名古屋には不揃い品なども大衆価格品として販売されます。ひつまぶしは細かく鰻を切ることで元の形がどうでも良いわけで、蒲焼きにしたら2人前しか取れない鰻から、3人前は取れるのですね。そこに大衆的価格で販売でき人気を博した原因の一端があるのです。
しかし、現在は大衆的というよりは高級料理になってしまいましたね。ちょっと残念です。

現在切磋琢磨し洗練された良品を提供するひつまぶしの2大名店として語ることのできるのが、あつた蓬莱軒といば昇です。その違いですが、あつた蓬莱軒は完璧な焼き加減が魅力です。ミディアムレアに焼かれた皮の直ぐ下の焼ききれていない肉の風味にくせがなく極上な香りが楽しめます。低質なウナギであれば成立し得ない焼き加減で、間違いなく素材の実力を伝えています。
一方でいば昇は、ウエルダンな焼きっぷりが魅力です。タレをしっかりとウナギに染み込ませ、表面をタレと共にカリカリに焼いた香ばしさといったら堪りません。スーパーの入り口で醤油焦げの香りに瞬殺されてしまうような方であれば、間違いなくいば昇万歳であります。このお店もあつた蓬菜軒同様に国産ウナギを使用しています。
私達が名古屋取材に伺った時には人気店の「うな富士」さんでひつまぶしを頂きました。

さて、ひつまぶしの正式な食べ方は、

  1. まずはそのまま茶碗に1杯とってそのまま食べます。
  2. 2杯目にはネギやワサビなどの薬味を乗せて。
  3. 3杯目は薬味を乗せたものにだし汁をかけていただきます。
  4. 最後の1杯は、この3種類の食べ方の中で1番気に入った食べ方でいただきます。

 

名古屋テレビ塔周辺

新幹線やJRの名古屋駅で降り、地下鉄名城線・東山線「栄」下車3番もしくは4番出口を上がって徒歩3分ほどで名古屋一の繁華街である栄に到着します。まず目に入るのが巨大な名古屋テレビ塔。

180mの高さをもつ名古屋テレビ塔は、東京タワーより古いタワーとして地元の人たちにとってもシンボル的存在です。地上100mのスカイバルコニーからは100m道路として名高い久屋大通やオアシス21など名古屋ならではの街並を眼下に望めるのをはじめ、遠くには広大な三河湾、雄大な木曽御嶽山まで見渡すことができ爽快です。まず名古屋ってどんなところなのか全体像を把握するにはうってつけの場所です。こちらは特に夕暮れ時の景色は美しく、またイルミネーションの時間帯もロマンチックでおすすめ。さらに「恋人の聖地」のモニュメントなどもありデートスポットとしてロマンチック気分上昇中です。

名古屋テレビ塔の周辺には、三越、丸栄、松坂屋とデパートが3つあり、パルコ、ラシック、スカイルなど専門店ビルも多数、またセントラルパーク、サカエチカなど距離にするとかなり長い地下街もあり買い物客でにぎわっています。他に中日劇場や 県の芸術劇場もありますしオアシス21や久屋大通りでは週末ともなれば、各種イベントが良く開かれる場所もあり楽しめます。 名古屋発祥のパチンコ屋も多く サンシャイン栄には都心の大観覧車もあります。名古屋めしを食べるところもたくさんあり、栄は錦や栄3、栄4を中心に夜の街としての魅力も多いところです。名古屋を知るうえで何をするにも大変便利な場所になります。

 

名古屋城は、名古屋の人たちの心のシンボル

自分が自分である、アイデンティティを知りたい、守りたいと願うのは人間の素朴で素直な心から湧き出る想いなのではないでしょうか。名古屋の人にとってそんな気持ちの心の核となるものの一つが名古屋城です。

名古屋城の歴史

名古屋城は、織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城(なごやじょう)の跡周辺に、徳川家康が九男義直のために天下普請によって築城したとされます。それ以降は御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城として明治まで利用されました。大小天守と櫓、門、御殿などの一部は昭和戦前期まで残存していたが名古屋大空襲(1945年)によって大部分を焼失。戦後に天守などが外観復元され、現在城跡は名城公園として整備されています。

明治維新の1870年、徳川慶勝は新政府に対して、名古屋城の破却と金鯱の献上を申し出ました。金鯱は鋳潰して武士の帰農手当や城地の整備費用に充当する予定でした。しかし、ドイツの公使マックス・フォン・ブラントと陸軍中村重遠工兵大佐の訴えにより、1879年山縣有朋が名古屋城と姫路城の城郭の保存を決定。この時天守は本丸御殿とともに保存されました。

その後太平洋戦争時には空襲から金鯱を守るために地上へ下ろしたり、障壁画を疎開させるなどしていましたが、1945年5月14日の名古屋空襲により、本丸御殿、大天守、小天守、東北隅櫓、正門、金鯱などが焼夷弾の直撃を受けて焼失しました。残骸は、戦後GHQに接収され、のち大蔵省に移り1967年に名古屋市に返還、名古屋市は残骸から金を取り出し、名古屋市旗の冠頭と、金茶釜に加工して保存しています。

天守再建は、1954年名古屋市民から声があがった名古屋城再建基金はじまります。

史上最大だった江戸城天守閣も、それより少し細身だった大阪城天守閣も、17世紀に火災で焼失しました。その結果名古屋城は、20世紀において国内最大の天守閣と本丸御殿が現存したお城となり、「尾張名古屋は城でもつ」の言葉通り、名古屋人の自慢であり、心の支えだったというわけです。お城は文化財だから敵も攻撃しない、絶対に焼けない。そのくらい名古屋城は地元の人にとって自慢の品であり、永遠にあり続けるものだったのでしょう。城は地元商店街の尽力や全国からの寄付により1959年に再建されて、復元された金鯱とともに名古屋市の復興と平和のシンボルとなりました。

 

名古屋市科学館

巨大な球体が目印の名古屋市科学館は、愛知県名古屋市中区の白川公園内にある市立の科学館。市政70周年の記念事業の一環として建設されました。アクセスは名古屋駅から地下鉄東山線・鶴舞線 伏見駅下車、4・5番出口 から南へ徒歩5分と非常に便利な場所にあります。

目玉はギネス認定のプラネタリウム

名古屋市科学館の目玉は2011年3月19日リニューアル・オープンしたプラネタリウムです。今年で3年目になりますがいまだ人気は衰えず、平日でも午前中に入場券が売り切れてしまうこともありますから注意が必要です。

「ブラザーアース」と名づけられたこのプラネタリウムは内径35mの巨大な球体、外から見ても建物と建物の間に挟まれたように球形で浮いていてインパクトも抜群です。中に入ると想像以上にワイドで、まさしく見渡す限りの満天の星空が頭上に広がります。プログラムは40分で多様な上映テーマが用意されそれを学芸員さんによる生の解説で聞くことができます。学芸員さんは決まった原稿を読むのではなく、各回の担当者ごとに独自の解説をしてくれます。リニューアルに伴う映像のスケールアップで、学芸員さんの解説熱もいっそうアツくなっています。映像以外の音楽も迫力あり、しばしの宇宙旅行をしているような気分が楽しめますよ。

食事は名古屋市科学館ミュージアムカフェ&レストランで

名古屋市科学館の外には汽車と電車の展示などもあり電車好きのお子さんにはたまりません。また汽車&電車展示の後方には名古屋市科学館ミュージアムカフェ&レストランがあり宇宙モチーフですごく可愛いくわくわくする店内でミドリ虫ベーグル!など、ここなればこそのランチも味わえます。大人も子供も難しい話は置いておいて1日楽しめますよ。

 

熱田神宮は名古屋で最も有名なパワースポット

熱田神宮は実はアクセスがすごく楽。地元の人に熱田さんと呼ばれ親しまれている熱田神宮は名古屋市南部、熱田台地の南端に鎮座します。現在は名古屋駅から名鉄名古屋線にて5~7分ほどで神宮前に到着いたしますから、そこで下車し逢付いて3分ほどで熱田神宮に到着いたします。昔は伊勢湾に突出した岬上に位置していたが、周辺の干拓が進んだ現在はその面影は見られません。

熱田神宮の成り立ち

熱田神宮といえば、三種の神器(鏡、剣、勾玉(まがたま))のうちの、「草薙の剣」をお祀りしていることで有名です。さかのぼる歴史は第12代景行天皇の時代、日本の歴史がまだ100年代というずいぶんと昔のお話です。日本武尊が東国の争いを鎮める為の帰り道に尾張へ滞在した際に、尾張国造乎止与命(おとよのみこと)の娘・宮簀媛命と結婚し、草薙剣を妃の手許へ留め置きました。日本武尊が伊勢国能褒野(のぼの)で亡くなると、宮簀媛命は熱田に日本武尊の霊を弔うため、剣を奉斎鎮守したのが始まりと言われます。そのため、三種の神器のうち草薙剣は熱田に置かれているとされ、伊勢神宮に次いで権威ある神社として栄えることとなりました。

織田信長も必勝祈願に訪れた場所で「清め餅」を

最近はパワースポットとしても注目を浴びています。あの織田信長も桶狭間の戦いの前に、必勝祈願に訪れてから出陣したとされ、勝利のお礼に「信長塀」を寄進したというエピソードが残されています。広大な敷地の中に、現在もその「信長塀」はあり、歴史を感じさせる格式の高い神社です。アクセスが良い都会の中にありながら小鳥のさえずりなどが聞こえる緑深く身のしまるような空気に包まれた社ですが、神宮内には「清め茶屋」という休憩所も用意され羽二重餅にこし餡が入った素朴な名物の「清め餅」がいただけます。

超駆け足ですが、名古屋の人気スポット、名古屋グルメのご紹介でした。名古屋にお出かけの際に少しでも参考になれば幸いです。

名古屋で行われる家具イベント

モバイルバージョンを終了